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| 序: 英語の辞書などに良く出てくる「ラテン語」は西洋の学芸において非常に関係深い言語で、中世以来、20世紀初頭まで各地のカトリック教会内の公用語として、またはヨーロッパ各地の大学内で使われてきたと言います。 国という範囲を越え、教会内や大学内で頑なに使われてきたというその不思議な言語には「カルトゥーラ」という言葉があります。「カルトゥーラ」とは「耕す」「培う」という意味の単語で、文字通り「農耕する」事を言う言葉でしょう。 「カルトゥーラ」は英語において「CULTURE(文化)」の語源となりました。無論、現代における文化の担い手は都市であって農村では有りませんが、これを単純に理解するならば「農耕は文化の源でもある」と言う事になります。手元の広辞苑を引いてみると、「文化」の意味は「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果」と言いますから、これはあながち間違った考えではないでしょう。 「農と食の歴史」は、日本の「農と食」における文化の発達を通史を参照しつつ眺めてゆこうというコラムです。 日本人は一体どのようなモノを食べて現代まで生きてきたのか?過去の人々はどのようにして食を確保する努力をしてきたのか?このような事を学び返す事で、人間の食べると言う行為の意味、重み、または環境と人との付き合いのありかたを掘り返す事ができるのでは、と思うのです。 現代は食べる事が娯楽と化している所があります。私はこの豊かさを否定しません。しかし、このように文化の枠を広げながらも、その原点を見ずに娯楽志向ばかりを進めるのは良い事ではありません。 私自身そうですが、人は時代の最先端という、あまりにか細い先っぽからモノを見てしまうクセがあります。そして「時代の最先端」と言う聞き耳の良い先進性から自信満々に、物事を考え、断定してしまう危うさがあることと思います。 食、農の歴史は、私達の先人達が体験してきた経験。長い長い時を懸けて経験してきた人類の記憶でもあります。小手先の技術や現代あるものだけを見て物を考えるのではなく、経験を活かすことで、よりモノを誤らない選択が可能になるでしょう。 と、少々大風呂敷を広げてしまいましたが、文章の稚拙さや不勉強ゆえの物足りなさ、きっとあることでしょう。 とは言え、出来る限り分かりやすくシッカリとしたモノになる様、このコラムが皆様の毎日の食生活、判断の役に立ち、また食と共に生活することが楽しくなるような助けになればと努力して進めてゆきたいと思います。 作者:周 |
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